「郷土の鎮守様〜富士見市・その3〜」

<平成17年2月>

「その1」
「勝瀬ノ榛名神社」/「東大久保ノ阿蘇神社」
「上南畑神社」/「下南畑ノ氷川神社」/「下南畑ノ八幡神社」


「その2」
「諏訪ノ氷川神社」/「富士見諏訪ノ諏訪神社」/「鶴馬ノ氷川神社」

「その3」
上水子ノ氷川神社」/「下水子ノ氷川神社」/「水子ノ八幡神社」/「針ヶ谷ノ氷川神社


富士見鶴見地区からさらに南下すれば「水子」地区にくる。この地区は有名な「水子貝塚」もあり、近隣は古くから開拓されていたことも窺える。


「上水子ノ氷川神社」<無格社>     
(埼玉県富士見市水子1399鎮座)

素戔嗚尊・奇稲田姫尊

鎮座地の水子は水子貝塚で有名な地。水子村が正保年間に「上・中・下」にわけられてそれぞれに名主が置かれていたために当社を「上組の氷川社」とも呼称。ちなみに中組は山王社、下組は神明社を鎮守としている。
当社の創建は天正期に村を開発し当社が創建されたという。
明治末期に一村一社制によって当社は下組の氷川社へ合祀される話が出るが、驚いた氏子は以前は村が異なっていた、として合祀を拒絶。神社明細帳では当社が抹消され氏子に知らせずに合祀が行われていたとも言うが、終戦後に登記をおこない、現在に至る。
氏子地域は旧水子第一区。旧社格は無格社。

氷川神社
入口
氷川神社
参道は直角。社殿は東面。
氷川神社
社殿
水子貝塚
200メートル東に「水子貝塚公園」あり。

鶴馬ノ氷川神社からだと東南東に約1キロ。みずほ台駅からだと北東約1キロの距離に鎮座。200メートル東側には「水子貝塚」がある。
社地はさほどに広くはないが、よくまとまっている感じがする。


「下水子ノ氷川神社」<村社>     
(埼玉県富士見市水子5050鎮座)

素戔嗚尊

当社は中水子に属し、弘治元年に大宮高鼻の氷川神社から勧請されたとされる。
当社は真言宗福性寺持ちの神社であった。明治期に神仏分離し、福性寺は廃寺。寺跡は当社裏手の山林。
明治43年に神明の「神明社」、城之下の「諏訪社」、正網の「神明社」、別所の「八幡社」を合祀。
大正2年に東台の「稲荷社」、東石井の「稲荷社」を合祀。
大正3年に寺下、山崎、小原、経塚、石井の「稲荷社」を合祀。
明治社格は旧村社。

氷川神社 氷川神社
氷川神社 左上:正面

上:参道

右:社殿

水子貝塚地域から1.1キロほど南下する。みずほ台駅から600メートル南東。浦所バイパス国道254号からは100メートル北上したところ。
鎮座地がバイパス合流地付近ということもあり、社地前道路は車のとぎれることはなく、必ず信号待ちで列をつらねている。
私が訪れた時も、夕暮れラッシュで車は列となる。運転席から、何をやっているんだ、的に私をみる人もいるようだが気にはしない。たしかに神社を真面目に撮影する人種は少ないだろうが。
社地後方には性蓮寺があり、付近一帯は樹木が多い。ただ氷川神社は台地に鎮座し、性蓮寺は低地に鎮座。このあたりも武蔵野台地を狹間であった。


「水子ノ八幡神社」     
(埼玉県富士見市鎮座)

誉田別命

新河岸川と柳瀬川が合流する台地上に鎮座。付近には縄文期の水子貝塚等があり、古くから開発されていたことがわかる。
当社は古くは旧字の経塚(京塚)に鎮座していたが、騎乗にて社前を通ると神が怒り落馬されるので、200年ほど前に現在地に遷座したという。一説には道幅がせまく騎乗での通過が難しかったともいうが、明和9年の棟札が残っており、そのころに遷座している。

八幡
正面
八幡
社殿
八幡
左手側が氷川神社
八幡入口付近。このあたりは鎌倉街道伝承路。「羽根倉道」。

はっきりいって、迷った。先ほどの氷川神社の裏手付近、性蓮寺の間辺りまでは見当がついていたが、そこに至る道がなかった。一度、性蓮寺側に接近することによって、ようやくに入口を発見。立地的には先ほどの氷川社からは100メートル北側になる。
ようやくに見つけ出すも、さらに驚きを感じる。私もいろいろな神社社殿をみてきたが、かなり新鮮というか簡素な社殿。プレハブ風とでもいえるような気配。それでも神はおはしますわけだから、私も真面目に参拝をするのだが。

実は、この神社が本日の最後の神社。次の針ヶ谷ノ氷川神社は「三芳に行く前に参拝」だったのだ。


「針ヶ谷ノ氷川神社<村社>    
(埼玉県富士見市針ヶ谷鎮座)

素戔嗚尊

新河岸川右岸の武蔵野台地に鎮座。
針ヶ谷地区は江戸期には川越藩領であった。当社は元禄期に志木市館地区の氷川神社から分霊されたとされる。
明治5年村社。氏子地域は針ヶ谷、北通、中通、南通、水子、西松原、六通。
現在の社殿は平成4年11月建立。

氷川神社 氷川神社
氷川神社 左上:入口

上:参道

左:社殿

私の住まう産土神たる志木市館ノ氷川神社を勧請した神社。
立地は浦所バイパスから200メートル西側。みずほ台駅と柳瀬川駅の真ん中の地点。みずほ台駅からだと約500メートル南に鎮座。
非常に綺麗だなあ、という印象。社地境内が丁寧に整えられている。心地よさを感じ、しばしの休息。


今回の郷土の鎮守様は「三芳」「富士見1」「富士見2」「富士見3」を一日で参拝した。
私は志木からスタートして「針ヶ谷氷川」から、三芳町を経由して富士見南畑から富士見中央部、そして富士見水子、とぐるりと自転車でまわった。自転車での走行距離は約18キロ、所要時間4時間30分ほどらしい。もっとも所要時間には昼食休憩も入っていたが。
さすがに一日に15社ともなると、だいぶ疲れる。やはり一日に回る神社はほどほどがよろしいようで。


参考
各神社由緒案内等
「富士見市史 資料編7 民俗」平成7年3月/富士見市教育委員会
「埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父」昭和61年4月/埼玉県神社庁神社調査団編/埼玉県神社庁



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