「川越祭りで川越散策」

<平成16年10月>
その1
川越八幡宮」「出世稲荷神社」「東照宮」「日枝神社」「浮島神社」「御岳神社

その2
「三芳野神社」「川越氷川神社」「薬師神社」「熊野神社」


川越祭りがあった。川越祭りの最中に川越を散策するのも、根本としてどうかと思うが、山車見物を事のついでに、神社見物も兼ねてみる。
東武東上線「川越駅」から500メートルほど北上すれば、まずは川越八幡宮に到着。

川越八幡宮(川越八幡神社)     
<埼玉県川越市南通町鎮座>

祭神:応神天皇

由緒
第68代、後一条天皇(1016−1036)の長元3年(1030)に甲斐守源頼信の創祀とされる神社。
長元元年(1028)、下総国千葉の城主前上総介平忠常が謀反を企て武蔵国に攻め寄せた際に、冷泉院判官代甲斐守源頼信(多田満仲の御子源光朝臣の御令弟)が、長元3年に平忠常追討の倫旨を賜り、当地に於いて必勝祈願をし、敵軍を潰滅させた。
頼信は大いに感謝し、八幡神社を創祀。東松山市の箭弓稲荷神社も頼信が当社と同じ祈願主旨で同時期に御社殿を建立したものという。

現在の社殿は昭和48年8月より昭和50年8月(竣工祭は51年5月)までの2ヶ年間をかけて本殿、拝殿を改築、幣殿を新築したもの。社殿は鉄筋コンクリート造り、朱塗りで屋根は銅板葺。

川越八幡社
川越八幡社
川越八幡社
拝殿

川越駅の北500メートルのところに鎮座。川越市総鎮守と表記される八幡神社。「まつり」ゆえに境内はいろいろと賑賑しい。もっとも神社以上に道路のほうが賑賑しく、まあ「まつり」だから、と納得しつつさらに北上する。


出世稲荷神社     

祭神:宇迦之御魂大神・佐田彦之大神・大宮能売ノ大神

由緒
天保2年(1832)に地主であった立川氏が伏見稲荷大社から分社したもの。
境内の大イチョウは樹齡600年と推定。

出世稲荷社
出世稲荷社
出世稲荷社
御神木

川越八幡からさらに600メートルほど北上すると稲荷社につきあたる。普通に鎮守様であれど、道すがら立ち寄る人は多い。公園と隣接しており、そこだけは喧騒がウソのようにのんびりとしていた。


東照宮(仙波東照宮・国重文)     
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祭神:徳川家康公

由緒
元和三(1617)年三月二四日より四日間、喜多院において家康の遺骸をとどめ天海僧正が法要を営んだことにより寛永十(1633)年に建設された。現在の社殿は寛永十五年の火災後の寛永十七年に再建されたものというが、明治以降の神仏分離によって衰退し、昭和三十四年の台風によって破損、昭和三十六年に修復されたものであり本殿・唐門・瑞垣・拝殿・幣殿・石鳥居・随身門が国の重要文化財。拝殿は単層入母屋造。幣殿背面は入母屋造、前面は拝殿に直結している。

東照宮
石鳥居<重要文化財>
東照宮
神門<重要文化財>
東照宮
拝殿<重要文化財>
東照宮
拝殿<重要文化財>
東照宮
本殿<重要文化財>

出世稲荷神社から東に300メートル歩むと埼玉病院に突き当たり、そこが喜多院境内の裏地。そこからぐるりと回り込むこと400メートルほどで東照宮に到達。
さすがに喜多院と東照宮。「川越まつり」とは関係なく人が多い空間。


日枝神社(旧県社・国指定重要文化財)     
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御祭神:大山咋命(おやまくいのみこと)

この地に日枝神社があるのは、喜多院の草創時(天長期の慈覚大師が星野山開山の折=830年)に比叡山坂本の日枝山王社を勧請したものであるといわれている。東京赤坂の「日枝神社(旧官幣大社)」はこの川越日枝神社から分祀した。
本殿は朱塗りの三間社流れ造り、銅板葺で、規模は小さく質素。建築時期は寛永15(1636)年の火災後の再建か、それ以前の建築かは不明ではあるが、建築の一部に古式造りが認められ室町時代末期頃ともされている。本殿は国指定重要文化財。

日枝神社
日枝神社<拝殿工事中>
日枝神社
日枝神社本殿

東照宮から200メートルほど北上。喜多院のすぐ隣に鎮座しているのが日枝神社。ただ、拝殿部分が工事中なので、境内に隣接する古墳をながめつつ、本殿を遠望しつつ、次に進む。
今回は先を急ぐので「喜多院」は意図的に通過。


浮島神社     
<川越市久保町鎮座>

祭神:宇迦之御魂大神

由緒
かつては末広稲荷と呼称。
喜多院の地に鎮座していたのを慈覚大師が喜多院を開いた時に、現在地に遷座したという。
一説に太田道灌の父である太田道真が川越城築城に際して、城の守護神として祀ったともいう。
以前は清水が湧いており、遠望すれば島のように浮いているようにみえたことから「浮島」と呼ばれた。

浮島神社
浮島神社
浮島神社
浮島神社

喜多院、そして日枝神社から北上すること300メートルで浮島神社。昔は島のように浮いていた境内も住宅地にとりこまれ、わずかに境内に池を残す。
社殿前にはキツネ像がいることから稲荷であることがわかる。さすがにこのあたりは川越まつりの喧騒とは無縁のようで、「事のついでに川越を歩いている人々」が道を歩んで行くぐらい。



御岳神社(富士見櫓跡の御岳神社)     

由来不明

御岳社
富士見櫓入口
御岳社
御岳社・左は浅間社
御岳社 左:
川越城富士見櫓跡に鎮座する
御岳社

浮島神社から直線距離は北に200メートルほどではあるが、道を回り込んで400メートルほどすすめば「川越城富士見櫓跡」に到達。
もともと川越城には天守が存在せず、この城内一の高台に三層の櫓が築かれ天守のかわりをなしていたという場所。現在は、多少の高台と、多少の堀の跡が名残を留めている。
頂には、御岳社と浅間社が鎮座。由来は不明であるが、城跡と言うことを考えれば、明治以降の鎮座であろう。立地的に「山」に由来する御岳社と浅間社が勧進されたのであろう。


次に向かうのは、三芳野神社。もっともページ構成的には次に続く。



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「その2」へ続く。