「川越祭りで川越散策・その2」
<平成16年10月>
その1
「川越八幡宮」「出世稲荷神社」「東照宮」「日枝神社」「浮島神社」「御岳神社」
その2
「三芳野神社」「川越氷川神社」「薬師神社」「熊野神社」
「三芳野神社」(県社・川越市郭町鎮座)
<前掲載ページ>
御祭神
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
奇稲田姫命(いなだひめのみこと)
配祀
菅原道真命
誉田別尊(ほんだわけのみこと=応神天皇)
創立は大同二(807)年と伝えられる。
大宮の氷川明神を勧進したとも、京都の北野天神を勧進したともいわれているが定かではない。この三芳野という社名は在原業平の『伊勢物語』に出てくる「入間の郡三芳野の里」という地名が川越の旧地名であるからつけられたという。
現在の社殿は寛永元(1624)年に、酒井忠勝によって造営された入母屋造であり、桃山の気風が反映されている社殿。埼玉県指定文化財。
川越城内の天神曲輪に鎮座していた当社は童謡「通りゃんせ」の発祥地とされる。当社に参詣するのに、川越城南大手門より小道を歩んで参詣するしか道がなかったために「行きはよいよい、帰りは怖い」と唄われた。つまり「城内に入るのは良いが、城の中を知ったあとに城外に出るのは怖いぞ」という意とされる。
通りゃんせの小道 |
境内 |
拝殿 |
本殿 |
三芳野神社。先ほどまでいた富士見櫓跡から200メートルほど東に歩んだところに鎮座。
ねこがいる。「とおっりゃんせ」名残の小道にねこがいる。それも4匹ほどのねこが思い思いに昼寝のくつろぎをしていた。
「氷川神社」<川越氷川神社>
(県社・川越市宮下町鎮座)
<前掲載ページ>
御祭神
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
奇稲田姫命(いなだひめのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
脚摩乳命(あしなづちのみこと)
手摩乳命(てなづちのみこと)
欽明天皇二(540)年九月十五日鎮座、武蔵国造が大宮氷川神社より分祀、奉斎したという。のち室町時代の長禄元(1457)年、川越城の築城にあたった太田道灌は篤く当社を崇敬し川越城の守護神とした。小田原北条氏滅亡後に関東を支配した徳川家康は重臣を川越城主として江戸北方の守りにつかせ、以後代々の城主が川越総鎮守として崇敬してきたという。なお現在の本殿は嘉永二(1849)年の落成。
摂社八坂神社は寛永十四(1637)年三代将軍家光が二ノ丸に東照宮として建立し明暦二(1656)年、川越城内の三芳野神社拝殿に移築され、更に明治五年に氷川神社境内に移築され八坂神社社殿となったという遍歴をもっており、江戸城内の宗教建築遺構として全国唯一の貴重な社殿とされ、氷川本殿共々埼玉県指定文化財となっている。
また「柿本人麻呂神社」や太田道灌手植えの矢竹や大鳥居の扁額(勝海舟筆)等が興味深い。
氷川神社 |
鳥居 |
本殿は修復工事中 |
拝殿 |
摂社・八坂神社 |
摂社・八坂神社 |
摂社・八坂神社 |
柿本人麿神社 |
三芳野神社から北西600メートルほどすすめば「氷川神社」に到達。
日曜日の恒例ともいえる祭礼が行われているようで、周辺住民の方々の祝い事で非常に賑賑しい神社。それでも「川越祭り」の賑々しさとはまた違うおもむき。もっとも「川越祭り」は当社の祭礼。
このあと、市役所前まで歩んで、山車の勢揃いを堪能。
市役所前に山車があつまってくる。もっとも人も集まってくるのでたちまちに身動きがとれなくなる。
なんとなくここまで来た私であれど、なにやらもはやお疲れ気味。最初は「夜間撮影も頑張ろう」という意気込みがあったが、もう満足してしまう私。とりあえず昼間の写真を掲載。
下の写真は「PENTAX *istD」を使用。
市役所前にあつまる |
「羅陵王」山車 |
山車 |
山車勢揃い |
山車勢揃い |
山車勢揃い |
ちなみにこの下は「CANON PowerShot S1IS」にて撮影。
写真もおもむきが変わるのだ。
山車 |
「徳川家康」山車 |
山車 |
山車勢揃い |
鈿女 |
弁慶 |
1時30分に勢揃いした山車を見物して、再び神社散歩に戻る。
もっとも、駅に戻る手順に寄り道する、という行動になるが。
「薬師神社」(川越市幸町鎮座)
祭神:?薬師如来?
由緒
以前は瑞光山医王院常蓮寺という寺であったが、明治維新後に薬師神社となった。
明治26年に川越大火によって時の鐘とともに焼失し、翌年に再建。
境内 |
社殿 |
左;時の鐘 |
川越氷川神社から、川越のメインストリートにむけて800メートルほど南下。もっとも「時の鐘」の下に鎮座と言った方がわかりやすい。
さすがに「時の鐘」のところに鎮座しているので、非常に人が多い。恐らくは自然の流れで、なんとなく神社に詣でているだけだろう。それでも人が多いことには変わりない。
「熊野神社」(川越市連雀町・旧指定村社)
御祭神:熊野大神三神<伊弉諾尊・事解く之男命・速玉之男命>
由来
天正18年(1589)に紀州熊野より勧進という。武蔵国松郷(川越市連雀町付近)に鎮座している蓮馨寺の守護神として信仰をあつめていた。
明治2年に神仏分離し、寺の管理から離れる。明治4年村社。
明治26年に川越大火によって社殿焼失。明治39年に社殿復興。
写真のみ、平成17年2月撮影
熊野神社 |
参道は「足踏み健康ロード」として整備。 ツボを刺激する石が並んでいる。 |
左:正面 左下:拝殿 下:本殿 |
|
川越のメインストリートに沿って鎮座。時の鐘からは600メートルほど南に鎮座。この辺りは喧騒が激しく、川越祭りの影響のもとでとぎれることのない人波と屋台が連なっている。
当然に神社の境内も人が多いが、それでもやはり神社の境内は一息つくのに最適な環境。
今回の「川越の神社」はここまで。
参考
各神社の由緒案内看板等