「郷土の鎮守様」 〜埼玉県和光市の神社〜
<平成16年5月記>
目次:新倉ノ氷川八幡神社/下新倉ノ氷川八幡神社/白子ノ熊野神社
郷土の鎮守様も第三弾です。今回は和光市。あいかわらず自転車で疾走ですが。志木の自宅から和光市・朝霞市・新座市を自転車で。ちょっとおつかれさんです。
「新倉ノ氷川八幡神社」
(和光市新倉2丁目鎮座)
祭神:須佐之男尊・誉田別尊
新倉と下新倉はもとは一村であったとされ、鎮守名も同名。当社は下新倉よりも遅れ弘安年中(1279−88)に創建されたとされる。
明治社格では村社。昭和52年に社殿再建。
新倉ノ氷川八幡神社 |
よく晴れた天気。なんとなく神社参拝をしたくて自転車をこぎ出す。家から7キロ離れた神社に詣でる。志木朝霞は詣で終わっているので、次は和光市。
当社は、荒川低地帯から高台に登ったところに鎮座。ひとつの岡のように鬱蒼とした緑につつまれ、静かに鎮座。参道は窮屈な小道だが、拝殿前は開放的。社地後方は濃厚な樹木に被われていた。
「下新倉ノ氷川八幡神社」
(和光市下新倉鎮座・村社)
祭神:建速須佐之男尊・誉田別尊
第73代堀河天皇の寛治5年(1091)に八幡宮として創建。文禄3年(1594)に氷川神社を合祀。
明治社格ではに村社列格。
社殿等が昭和20年5月の空襲によって焼失し、白子小学校の奉安殿を移築し、本殿としていたが、平成8年に琴平・稲荷社として再移築。拝殿は昭和24年に再建し、平成8年に神楽殿として移築。本殿幣殿拝殿は平成8年に新築されている。
下新倉ノ氷川八幡神社 |
下新倉ノ氷川八幡神社 |
下新倉ノ氷川八幡神社 拝殿 |
下新倉ノ氷川八幡神社 奧は琴平・稲荷社 |
新倉ノ氷川八幡から1.5キロ南東に鎮座。東西に鳥居があり、社殿は南面している。つまりどちらの鳥居からすすんでも折れた方向に社殿がある。すがすがしい気配を漂わせ、爽快感がある境内。新しめな社殿は気分も晴れやかにしてくれるようだ。
「白子ノ熊野神社」
(和光市白子2丁目鎮座・村社)
祭神:伊弉冉尊・建御名方命・速須佐男命・速玉男命・事解く男命・倉稲魂命
鎮座地の白子は天平宝宇二年(758)に朝廷の命によって渡来新羅人のために新設された武蔵国新羅郷が、転訛したものとされる。
白子の鎮守は本来は氷川神社であったが、いつのころか氷川社が衰微し、かわって熊野社が鎮守とされるようになった。
創建年代は不詳ながら、およそ1000年前とされる。当地は川越街道の白子宿の中心であり、隣接する不動院とともに多くの参詣者をあつめてきた。
明治五年に氷川神社を合祀し村社となる。明治40年に氏子地域(白子全域)に当たる坂上の諏訪社、牛房の八雲社、市場の稲荷社、境内社の氷川社を合祀しているが、これらの諸社は旧地にのこされている。
境内には文化2年(1805)以来の登山記念碑が建つ「白子の富士山」(富士塚)もあり、信仰が篤いことがうかがえる。
白子ノ熊野社 |
白子ノ熊野社 |
下新倉ノ氷川八幡から「笹目通り」にでて南下。東武東上線をまたぎ、川越街道旧道をゆるやかにくだると東京都境にほどちかい、落ち着いた街道宿場を漂わせる一角に鎮座していた。ちょうど、幼稚園児の皆さんが遊んでいるようで、なにやらゆっくりと散策ができない。まあ、この陽気だから致し方がない。
和光市の神社から朝霞膝折の氷川を経由して私は新座に向かう。まずは川越街道を北上するのだが、和光の神社はひとまず終了。
<参考文献>
『埼玉の神社』北足立・児玉・南埼玉郡編 平成10年3月 埼玉県神社庁
神社由緒書及び案内看板。