「郷土の鎮守様〜築土神社〜」<平成18年1月>



「築土神社」(つくど神社・津久戸大明神・田安明神・旧村社)     
<東京都千代田区九段北鎮座・朱印


主祭神:天津彦火邇々杵尊
配祀神:平将門命・菅原道真命

創建は天慶3年(940)。藤原秀郷らによって討たれた平将門の生首を納めた首桶を、密かに武蔵国豊島郡上平河村津久戸(千代田区大手町付近)の観音堂に祀って「津久戸明神」と呼称したことにはじまる。
文明10年(1478)に太田道灌が江戸城乾(北西)に当社を遷座し、太田家の守護神・江戸城の鎮守神として崇敬。
天文21年(1552)に田安(九段坂上)の地に遷座。田安明神と称され、山王・神田とともに江戸三社に数えられる規模を誇っていたという。
天正17年(1589)に徳川家康が江戸城に入城すると江戸城拡張のために現在の飯田橋駅付近に遷座。元和2年(1616)に江戸城外堀拡張のために新宿筑戸八幡町に遷座し「筑戸明神」と称された。以後、徳川幕府の崇敬が特に篤かった。
明治7年(1874)に氏子請願によって天津彦火邇々杵尊を歓請し築土神社と改称。明治40年(1907)に村社列格。
昭和20年(1945)に戦災によって社殿社宝全焼。翌年に千代田富士見に遷座。さらに昭和29年に九段中学校建設のために、現在地に遷座。当地はもともとは「世継稲荷神社」(現在の境内社)の敷地であった。
平成6年に社殿を大改築し、地上8階地下1階のビルを建立。ビル名を「アイレックスビル」と呼称。(当ビルは都市景観賞受賞をしている)
アイレックスとは「モチの木」を意味し、かつての鎮座地であった田安のモチの木坂に因むという。参道入口にはビルのシンボルとしてモチノキが植えられている。
築土神社公式サイト・参照

築土神社
築土神社・入口
築土神社
ビルの真上には「剣」がモニュメントされている
築土神社
参道
築土神社
参道はビルの下。
築土神社
ビルをぬければ、社殿が納まる地
築土神社
拝殿
両脇にはビル
築土神社
本殿
築土神社
もともとの地主神である世継稲荷神社
築土
御朱印

平成18年1月2日に参拝。
毎年恒例の「皇居一般参賀」に参列後に、北上すれば北の丸公園。そのままあるけば「靖国神社」。靖国は訪れる頻度も高い。靖国から少しばかり歩けば「築土神社」という神社があるのだ。
せっかくだから参拝。ちょうど神社に関心がない友人も一緒にいたのだが、このビルの中の意外性溢れる神社にかなり度肝を抜かれたらしい。それほどのインパクトがある神社。
決して奇をてらっているわけではない。非常に神威的な空間が巧みに織り込まれた神社なのだ。入口の鳥居とビルのマッチング感と、ビルの上にそびえる剣の意味深さ。そして参道とビル下のコンクリートの一体感。その先に鎮座する社殿と隣接するビル壁、上を覗けば意外と開けている空間。
築土神社は、まさに神社信仰に都心部環境を同居化させた神社。これほどのバランス感はなかなか体感できるものではない。
この意外性の組み合わせのなかに詣でる、ぜひともオススメな神社。



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