「秩父の古社めぐり・その4」

<平成17年5月>

その1「三峯神社」その2「今宮神社」「秩父神社」その3「吉田ノ椋神社」「野巻ノ椋神社」「皆野ノ椋神社」
はこちらから。



その4・「宝登山神社」「蒔田宮原ノ椋神社」「蒔田宮平ノ椋神社


気が付けば秩父に行くことが多い。埼玉に住んでいる人間として、「気軽な旅行」として最適だから。
せっかく秩父鉄道にのるのであれば、長瀞から宝登山神社にいくのも悪くはない。


「宝登山神社」 (県社・秩父三社の一社)    
(埼玉県秩父郡長瀞町長瀞鎮座・朱印

御祭神
神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと=神武天皇)
大山祇神(おおやまづみのかみ)山の神
火産霊神(ほむすびのかみ)火の神

 創立は第12代景行天皇(約1900年前)の時という。景行天皇皇子である日本武尊(やまとたけるのみこと)が勅命によって東北地方を平定し、凱旋する途中で、山に登り山頂に三柱の神を祀ったのが、始まりという。
ヤマトタケル尊が、登山に先立ち身心を浄めたという「玉の泉」が宝登山神社境内に残っている。山に入ったとき、賊が放った矢によって一面が山火事となり、尊はこれに巻き込まれてしまったが、戌亥(北西)の方角より多数の山犬が現れ、猛火に体を転がして火を消し止め、尊の難を救うと姿を消した。この巨犬が大口真神(おおくちまがみ)であり、大山祇神に属する霊犬であると悟った尊は宝登山鎮護の神である大山祇神と火防守護の神である火産霊神を拝したといわれている。
 ゆえに「ホド山」は古くは「火止山」であり、後世「宝登山」に改められたという。
また、奈良時代天長年間に空海が当地にいたって参籠し、密法を修めたとも伝えられている。さらに永久年間に空園が当地に寺院を建立し玉泉寺と称し、のちに別当職として長く宝登山神社を管理経営してきたが、明治維新の神仏分離の時に寺を廃止している。

現在の社殿は明治初頭の再建。明治社格では県社列格。現在は神社本庁別表神社。

宝登山神社
大鳥居 後方が宝登山
宝登山神社
参道
宝登山神社
社頭では藤の花がささやかに咲く
宝登山神社
樹木豊かな境内
宝登山神社
拝殿
宝登山神社
本殿 瑞垣内に日本武尊みそぎの泉有り
宝登山神社
拝殿・神木
宝登山神社
拝殿彫刻
宝登山神社
拝殿正面
宝登山神社
参考:宝登山神社山頂の奥宮。<平成13年11月撮影>
今回は奥宮には行かなかった。

秩父鉄道長瀞駅から一直線に西に約800M。ちょうどSLが走っている季節なうえに、長瀞ライン下りもあって、駅前は混沌として騒がしい。それでも道を進んで神社に近づけば静寂へと気配は変わる。

宝登山の麓に鎮座。ここに訪れるのは実は二回目。前回は平成13年11月。思えば3年半すぎていた。そのころは神社を巡り始めたばかりの頃。いろいろ拙いので、サイト的にも「やりなおし」をしたかった神社でもある。

新緑の清清しい境内。そこは緑の活力に溢れていた。秩父地方の神社が私はかなり好き。社地をめぐり、朱印を頂戴する。県内の神社は朱印を頂いていない神社も多数あった。そう言う意味でも再訪したかった神社。
今回は奥宮にいく予定はない。ただ、宝登山を拝み、社殿彫刻を眺め、新緑のエネルギーを身体に取り込む。
贅沢な環境での充実の時間。これが神社を訪れる私の源でもある。


「蒔田宮原ノ椋神社」<村社・式内社>     
(埼玉県秩父市蒔田字宮原鎮座)

祭神:天下春命・大己貴命・猿田彦命

 景行天皇の時、日本武尊東征の際、矛を杖にして山路を越えると、矛が光を放って飛んでいった。尊は不思議に思って光が止まったところまで行ってみると、井の辺のムクの木陰から猿田彦命が現れ道案内をしたという伝説から、尊は持っていた矛を神体として猿田彦命を祀ったことに始まる。
 椋神社の由来はほかの椋神社とほぼ同じ。
 永禄12年(1569)に武田信玄によって焼き払われたことも同じ。宝暦13年造営の本殿には石棒と神像がまつられているという。

椋神社
正面
椋神社
参道
椋神社
拝殿
椋神社
社殿
椋神社
境内地遠望。
左側に社殿有。

宝登山神社のあとに秩父駅に赴き、せっかくだからバスで「椋神社」を目指す。前回の秩父紀行では「吉田ノ椋神社」「野巻ノ椋神社」「皆野ノ椋神社」」を参拝しているが、武蔵国式内社論社としての椋神社はあと2社ある。

30分から1時間間隔で走っているバス。秩父駅から小鹿野町に向かうバスの沿線に二社が並んでいる。秩父駅から国道299号で約5キロ。立地的には吉田ノ椋神社から直線距離南東4キロ。ちかくには荒川支流の蒔田川が流れている。

秩父駅前から約20分。250円。「府坂入口」バス停で降りれば、すぐそこに鎮座。後方に小さな丘を背負う立地背景。社地の500メートル手前には蒔田川がながれる。
すがすがしい青空の下で、すがすがしい緑を背負う神社を拝する。式内論社であるから訪れたわけではある。何にもないけど、ぼーっとする。この絶妙な気配が私は好きだ。わざわざ足を運んだ意義を見出す。

今いる椋神社から国道299号線を1.5キロほど北に戻ればもう一社の「椋神社」が鎮座している。


「蒔田宮平ノ椋神社」<村社・式内社>     
(埼玉県秩父市蒔田字宮平鎮座)

祭神:大己貴命

 景行天皇の時、日本武尊東征の際、矛を杖にして山路を越ると、矛が光を放って飛んでいった。尊は不思議に思って光が止まったところまで行ってみると、井の辺のムクの木陰から神が現れ道案内をしたという伝説から、尊は持っていた矛を神体として神(オオナムジ命)を祀ったことに始まる。
椋神社の由来はほかの椋神社とほぼ同じ。
 永禄12年(1569)に武田信玄によって焼き払われたことも同じ。ただその後は衰退し、江戸期は秩父神社によって管理されていた。明治期に村社列格。
他の椋神社とことなり由来で現れる神はオオナムジ命。ゆえに主祭神も猿田彦命ではなく大己貴命という。

椋神社
正面
椋神社
参道
椋神社
拝殿
椋神社
拝殿彫刻
椋神社 左:
境内地の後方は緑に覆われている。

国道299号線。式内論社椋神社が1.5キロの距離でもって秩父市蒔田に鎮座している。どうして、こんなに緑が気持ちいいのだろう。おそらくは秩父という風土と気配が私の精神に好印象を抱かさせているからだろうか。
どうせバスは30分またないとやってこない。
ゆっくりとのんびりと神社で腰を落ち着けて、秩父の景観を楽しむ。


参考
各神社由緒案内等




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