「武蔵の古社〜水天宮・鉄砲洲稲荷〜」<平成18年3月>
「水天宮」
(東京都中央区日本橋蛎殻町鎮座)
祭神
天御中主大神
安徳天皇(第81代)
建礼門院(高倉天皇中宮徳子)
二位ノ尼(平清盛の妻時子・建礼門院母・安徳天皇祖母)
文政元年(1818)港区赤羽にあった有馬藩邸に藩主有馬頼徳公が領地であった福岡県久留米の水天宮の御分霊を藩邸内に祀ったことに始まる。
江戸期の水天宮は有馬藩邸内にあったために庶民は普段参拝できず門外より賽銭を投げ入れて参拝したという。ただし毎月5日の縁日に限り藩邸が開放され参拝が許されたという。俗に「なさけありまの水天宮」と言う言葉の由来でもある。
明治維新後に有馬藩邸が接収され、青山に移転されると共に遷座。明治5年に現在の蛎殼待町に鎮座。
昭和42年に現在の権現造りの社殿として建立している。
東京下町八社福参り
鷲神社・・・台東区千束 今戸神社・・・台東区今戸 第六天神社・・・台東区蔵前 下谷神社・・・台東区東上野
小野照崎神社・・・台東区下谷 水天宮・・・中央区日本橋蛎殼町 小網神社・・・中央区日本橋小網町 住吉神社・・・中央区佃
日本橋七福神詣
水天宮(弁才天) 茶の木神社(布袋尊) 小網神社(福禄寿・弁才天) 椙森神社(恵比須神)
宝田恵比寿神社(恵比須神) 笠間稲荷神社(寿老神) 末広神社(毘沙門天) 松島神社(大国神)
というのもあるらしい。
東京の水天宮 |
水天宮 |
水天宮 |
子宝いぬ |
東京駅に用事があって、その用事が終わったあとにちょっとだけ時間があった。どこかで時間を潰そうかな、と考えて思い立った場所が「水天宮」。そんなわけで大手町まであるいて地下鉄半蔵門線で水天宮まで行ってみる。水天宮前駅でおりればすぐそこに鎮座。
時間は朝8時。ちょうど開門したばかりで、境内は神職さんで慌ただしい。私はちょっとだけ気まずい。さすがに御朱印を頂く空気でもないので、黙って静かに参拝。
朝の日差しが心地よかった。
さて、まだ時間がある。さすがに「七福神詣で」をする元気はなかったし、そこまでの時間的余裕はなかったが、次の用事までのつなぎをしておかねば行けなかった。
「鉄砲洲稲荷神社」
(東京都中央区湊)
生成太神(いなりのおおかみ)・・・京橋地区の産土神
鉄砲洲の地は、徳川家康入府のころにすでに「鉄砲」の形をした南北約八丁の島であったという。また寛永期に大砲射撃演習をこの地で行ったために「鉄砲洲」の地名がうまれたともされている。
慶長17年に「八丁堀」がほられ、京橋あたりの土地が形成されたのが天正期とされており、京橋地区一帯の土地形成の神として当社は崇敬されてきた。
創建としては、承和八年(841)に土地の住民が産土の国魂神をまつり崇敬したことにはじまるとされている。当初の鎮座地は東京湾の最も奧の場所であり、港として機能していたこともかさなり、船乗りの崇敬もあつめてきた。その後、土地の埋立にともない、新しい海岸線へと遷座を繰り返して、室町後期には「八丁堀稲荷神社」と称されていたという。
京橋・新京橋・八丁堀からさらに埋立にともなって遷座をした当社は、寛永元年(1623)に鉄砲洲へ遷座。従来から鉄砲洲に鎮座していた八幡社を摂社として、「鉄砲洲稲荷神社」と改称。
明治元年に現在地に遷座し、今にいたる。社殿は昭和十年以降の再建。
境内には富士山の溶岩で築いた富士塚がある。(現存する中央区唯一のもの)
鉄砲洲稲荷 |
鉄砲洲稲荷 |
鉄砲洲稲荷 |
富士塚 |
水天宮駅から人形町駅まで三百メートルほど歩いて、今度は日比谷線で八丁堀駅にいく。そこからやはり300メートルほど南東にあるけば「鉄砲洲稲荷」という神社が鎮座していた。なんとなく名前にひかれて訪問してみた。
鉄砲洲という名前の響きはいかめしいが、神社は端整な佇まい。稲荷であれど、稲荷らしい気配は感じられず、なにげない郷土の鎮守様。こういう気配は好きな気配でもある。あいかわらずの朝の中で静かに参拝して、私は次の用事が待っている池袋駅におもむくのであった。
参考
各神社由緒案内等