「杉山神社巡り」
<平成16年8月>
「西八槻ノ杉山神社」/「茅ヶ崎ノ杉山神社」/「中川ノ杉山神社」/「吉田ノ杉山神社」
付記
「鶴見神社」<平成17年2月>
前々から行こうと思っていた。ただ、めんどくさいな、と思うことしばし。計画だけが先延ばしになっていたが、そろそろ行くべき時であった。
徹夜明け。冴えていない身体を朝6時すぎに動かし「杉山神社」に行こう、と決意する。
杉山神社。武蔵国内の延喜式内社のなかでも、かねてより「式内社」が研究されてきたが、これという確証がない神社。
続日本後紀に武蔵国都築郡の杉山神社が従五位下神階をすすめている記録があるが、どの杉山神社かが不詳。
武蔵六社宮「大國魂神社」が成立すると、都築郡の杉山神社は六ノ宮に祀られている。現在は「西八槻ノ杉山神社」が、「六ノ宮」にされているが、これとて明白ではない。
杉山神社は本源の所在不明。現在、横浜市内に「杉山神社」と称する神社は41社。また新編武蔵風土記稿に72社、うち都築郡24社の記載がある。杉山神社の分布はいずれも鶴見川の本流、並びに支流ちかくに鎮座している。
なお杉山神社のうち五十猛命を祭神とするのは「杉山」と植林の神としての五十猛命の神格が結びついたものであり、日本武尊を祭神とするところは、東征伝説から付会されたものであるとされ、多くの杉山神社が五十猛命もしくは日本武尊を祭神として祀っている。現在の最有力候補として以下の4社があり、いずれも小高い丘の上にある。
杉山神社・神奈川県横浜市緑区西八朔町(旧郷社)
杉山神社・神奈川県横浜市都筑区中川町(旧郷社)
杉山神社・神奈川県横浜市港北区新吉田町(旧郷社)
杉山神社・神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎町(旧村社)
ただ、いずれも由緒らしい由緒が確認できない。
港北区に鎮座している「茅ヶ崎ノ杉山神社」にわずかに由緒が伝わっているという。
それによると、天武天皇白鳳3年に安房神社神主の忌部勝麿呂が御神託によって、武蔵国の杉山の岡に高御座巣日太命(高御産日命)・天日和志命(天日鷲命)・由布津主命(阿八別彦命)の三柱を祀った「杉山神社」としたことにはじまるというが信憑性は乏しいとされている。
「西八槻ノ杉山神社」
(郷社・式内論社・神奈川県横浜市緑区西八槻町鎮座)
祭神:五十猛命
配祀:大日霊貴命・素戔嗚命・太田命
当社は武蔵国総社「大國魂神社」記載の杉山神社。「武蔵六の宮」とされる。大國魂神社側でも、当社を認めており、大國魂神社例大祭にも参列。多くの杉山神社のなかでも社領を有していたのは当社のみ。
明治六年郷社列格。現在の社殿は昭和57年に改築されたもの。
かつては現在の所在地よりも300メートル西北の山麓が鎮座地であったという。遷座時期は約300年前の延宝年間とされている。
西八槻の杉山神社 |
正面 |
参道 |
拝殿 |
恩田川 |
西八槻の杉山神社の200メートルみなみに 恩田川がながれる。 杉山神社の特徴として「川と山」がある。 いずれも鶴見川支流の小川。 式内論社4社ともに川の近くの高台に鎮座しているのだ |
JR横浜線「十日市場」駅から1.2キロほどを15分弱歩むと神社社叢に到達。十日市場からみれば当地は恩田川の対岸高台に鎮座。よく整えられた境内は、余計なことを考えずに佇むには最適の環境。この「世界観がかわる時」がすきなのだ。
朝8時30分の参拝。現地に赴いてみれば、高台を実感できる。それでも、謎の多い杉山神社。なんとなく心寂しい気持ちなのは、論社がハッキリしないからだろうか。
「茅ヶ崎ノ杉山神社」
(村社・式内論社・神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎町)
祭神;
高御座巣日太命(高御産日命)・天日和志命(天日鷲命)・由布津主命(阿八別彦命
由緒
天武天皇白鳳3年に安房神社神主の忌部勝麿呂が御神託によって、武蔵国の杉山の岡に高御座巣日太命(高御産日命)・天日和志命(天日鷲命)・由布津主命(阿八別彦命・天日鷲命の孫・忌部氏の祖)の三柱を祀った「杉山神社」としたことにはじまるというが信憑性は乏しいとされている。
茅ヶ崎ノ杉山神社 |
拝殿 |
拝殿 |
100メートル北を流れる早渕川 |
左奧の森が「茅ヶ崎ノ杉山神社」鎮座の小山 右手前の高台が「中川ノ杉山神社」 |
西八槻ノ杉山神社を詣でたあとに「JR十日市場駅」から「JR新横浜駅」まで乗り、さらには市営地下鉄にて「センター南駅」。そこから歩くこと500メートル。都築中央公園のなかに山を背負うかのように、やはり高台に鎮座していた。周辺は開発がすすんでいるが、公園として整備されていることもあってか、神社としての格は失われていなかった。
「中川ノ杉山神社(大棚ノ杉山神社)」
(旧郷社・式内論社・神奈川県横浜市都筑区中川町)
祭神:五十猛命・日本武尊
由緒
由緒不明
中川町1084番地に鎮座していた当社は再開発事業の為に移転している。中川町757番地の元吾妻社跡地に昭和58年11月30日に仮社殿を建立し移転。平成4年4月に中川町1194番地にさらに移転が計画され、平成7年10月15日に社殿・鳥居・社務所・植栽等が整えられ、現在地に鎮座となる。
中川ノ杉山神社 |
拝殿 |
拝殿(後方は都築東急) |
都築東急側通路からの遠望 右手が杉山神社。左は慈眼寺。 |
茅ヶ崎ノ杉山神社から北上する。早瀬川をわたり、直線道路を歩くこと700メートル。市営地下鉄「センター北駅」を中心とする大開発エリアの真っ直中に放り込まれたかのように鎮座している神社。ガソリンスタンドの後方上の斜面を利した高台で、その右後ろには「観覧車」。立地場所も、かなり特異な環境であった。このあたりは「農村」だったというが、時代はかわるものである。ただ時代はかわれど、神社を信仰する下地があるのは喜ばしいことである。
「吉田ノ杉山神社」
(旧郷社・式内論社・神奈川県横浜市港北区新吉田町)
祭神
由緒
茅ヶ崎ノ杉山神社からみると東に四キロの地点に鎮座。早渕川から400メートル南の小高い丘の上に鎮座している。
当社近くに「杉山」という地名があったことから式内論社とされる。
吉田ノ杉山神社 |
拝殿 |
後方の小山が「吉田ノ杉山神社」鎮座地。 東側からの遠望。 |
早渕川と鶴見川の合流地点。 左が早渕川。右が鶴見川本流。 |
実は「吉田ノ杉山神社」にいくべきかどうかを迷っていた。私の現在地たる「センター北」駅からは南東に4キロの距離。最寄り駅としては遠い。「吉田ノ氷川神社」最寄り駅としては東急東横線「綱島駅」だが、そこからでも北西3キロの距離がある。
「杉山神社」という神社規模としてはちいさな神社に、どれだけの時間を費やすか、ということを迷うが「式内社巡り」として考えると「有力論社の一つ」を無視するのは心許ない。
「センター北」駅からタクシーに乗り込む私。夏の日差しに疲れ切っていた私は安易な選択肢を選んでしまう。乗り込み「吉田の杉山神社までお願いします」。予想通りに運転手は「??」な顔。さしあたり手近に「早渕川向こうの新吉田町なんですけど、第三京浜都築インターの向こう側になります」と案内。「新吉田町ですね」とわかったように車を走らせてくれるが、途中で地図をみはじめる運転手。かなり心許ないのですが。
結局、わかりやすい道を選択し、早渕川北側から「新吉田町」に進入。途中で道が怪しげになり車は「正福寺」という寺に向かおうとする。私の直感では正面の「丘」に神社が鎮座していると感じたのだが、そんな直感を説明するのは長くなるので、右折しようとするタクシーを止めて、「ここで大丈夫です」といって降ろして貰う。運賃は1700円也。「杉山神社」に赴くのに投資した額としては少々高めだが、時間節約を優先する。
正面の丘を見据えて真っ直ぐに登る。途中に一文字も「杉山神社」という案内を見かけることはなかったが、私の直感「薄暗い小道」の向こうにあるはずだ」と信じて登る。
登り切るとたしかに社殿があった。鬱蒼と繁る樹木の中で、何を語るでもなく神社がそこにあった。式内社であろうがなかろうが、そこに鎮座し信仰をあつめている。
神社の気配を感じ、山をおりる。正面の「鳥居」と「郷社」とある社号標を拝見して、手元の地図をみる。結局の所「綱島駅」まで歩かなくてはいけないようだった。
ちなみに11時ちょうどに「吉田ノ杉山神社」をあとにして、綱島駅に到着したのが11時50分。きっちりと50分間歩くはめになってしまった。わずか3キロの道のりもあくまで直線距離。丘陵地帯を上下して、さらには川を渡るために迂回をし、東に歩いているつもりが、方向感覚がずれて東南方向に「鶴見川」まで到達するという無駄足が多かったのだが。
12時30分頃、「横浜駅」に到着。今日の予定は終了でも良いのだが、まだまだ時間があったので、このあと「平塚」方面に足を伸ばす。「前鳥神社」「平塚八幡宮」、そして「寒川神社」を詣でたのだが、こちらはすでに「相模国」なので、別ページで掲載する。
あくまで、今回は「武蔵国式内社・杉山神社めぐり」なのだ。
付記<平成17年2月訪問>
「鶴見神社」
(旧村社・式内論社・神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央鎮座)
祭神
杉山大明神=五十猛命
相殿
天王宮・素盞鳴尊
由緒
鶴見川流域に多い杉山神社の一つで、創建は1400年前の推古天皇の時代とされる。
古くは「杉山神社」と呼称。当社も延喜式内社「杉山神社」の論社とされる。
昭和37年に境内より弥生式土器が出土。古墳時代から鎌倉期に及ぶ、祭祀道具も発掘されていることから古来よりの古社であることが窺える。(横浜川崎地区の最古の神社)
明治6年(1873)村社となり、大正9年(1920)に鶴見神社と改称。
鶴見神社 |
鶴見神社 |
鶴見神社 |
鶴見神社 |
JR鶴見線に乗りたくなったので鶴見を訪れた。そういえば、で思いだして鶴見駅ちかくの鶴見神社に足を伸ばす。町中の神社であれど、やはり足を踏み入ればそこは神社。かもし出す空気が違った。社地後方はJR線路であり、いささか賑賑しい。そんな環境ではあるが、地域密着型の良い気配が感じられる。
参考文献
「式内社調査報告」第11巻東海道6 皇學館大学出版
「武蔵の古社」 菱沼勇著