「郷土の鎮守様〜入間郡大井町〜」

<平成17年3月>

「その1」
大井ノ氷川神社」/「苗間ノ神明神社/「亀久保ノ神明神社」/「鶴ヶ岡ノ神社


「氷川神社」<村社>     
(埼玉県入間郡大井町大井鎮座)

祭神:素戔嗚命・奇稲田姫命・大己貴命

当社の鎮座する地はほぼ中央を鎌倉街道が通り、武蔵野台地の台地と低地の分かれ目である。
創建年代は明らかではないが慶長元年(1596)には既に鎮座していたともいわれる。
鎮座地よりも南に本村という地域があり、中世期頃は地主神として「根上明神」が祭られていた。文政元年(1818)に根上明神の社殿が炎上。
この間の記録は明かではないが、弘化5年(1848)には「正一位氷川根上明神」とされており、江戸末期には「氷川神社」とされていたようである。
明治期に「根上明神」は「氷川神社」の摂末社とされ、明治5年(1872)に大宮氷川神社から改めて勧請。村社となった。
明治41年に東原の「稲荷」「神明」「高根」「久保」、市沢の「金山」を合祀。
氏子地域は大井地区全域。

大井
正面
大井
舞殿有
大井
拝殿
大井
本殿
大井
獅子岩
大井
獅子岩

川越街道のほど近くに鎮座。東武東上線ふじみ野駅から西南に約600メートル。近くには小学校もあり、閑静な住宅街の中。地域鎮守らしい杜のなかで、落ち着いた気配。参道脇の獅子岩が、参拝者を迎えてくれるのがうれしい。


「神明神社」<村社>     
(埼玉県入間郡大井町苗間鎮座)

オオヒルメムチ命

縄文期には当地付近まで東京湾が入り込んでおり、当地は波間とも称されていた。
創建年代は明らかではないが、永正年間とも享和〜文化年間ともいわれている。飛神明か伊勢御師の影響で創建されたのではないかと推測。
口碑には享和文化年間(1804−1818)に村民が伊勢神宮に参拝し弊を押受してきたとされ、そのころの鎮座とされている。
明治5年村社。本殿は明治7年再建。明治40年に社殿を新改築。
明治22年に八雲・子権現・熊野・天満・稲荷を合祀
氏子地域は苗間。
境内には高さ6メートルのレンガ積みの燈明台がある。明治期に村民が村内安全を祈願して奉納したもの。

大井
正面
大井
燈明台
大井
拝殿
大井
境内
大井 左写真
本殿。後方に御神木のケヤキ。

東武東上線ふじみ野駅の東南約300メートル。県道266号線に隣接しており、東武線の東西を結ぶ高架道路ともなっているため、近隣の往来は賑やか。鎮座地のすぐ南は富士見市に至る。
神社のなかにレンガ積みの燈明台があるのが興味深い。神社とまったく縁がないものでもあるから。参道は細長く、そして生活感が溢れていた。参道前は道路工事。なにやら、賑やかなる環境。
それでも参道を進んで拝殿まで到達すれば「神社らしい静観」となるのが、ほほえましい。


「神明神社」<村社>     
(埼玉県入間郡大井町亀久保鎮座)

もともと当地には島田氏の氏神として稲荷社が祀られていたという。
神明社としての創建は不詳ながら慶長3年(1598)の設立ともいう。
口伝では当社の創建は天文15年に川越夜戦で討ち死にした斎藤丹波少輔(斎藤別当実盛の子孫)の後裔であった斎藤勝之丞が出家し、享保年間(1716〜1735)に別当木ノ宮山地蔵院の住職になってからの創建ともいう。
斎藤家の守護神が神明社であったために、当地に鎮座していた稲荷社社地に所沢から神明宮を勧請して本社として、稲荷社は合祀された。
当時の別当寺の影響力の大きさを物語る例でもある。また神明社以前意に当地鎮座していた「木宮稲荷」は三芳藤久保で祀られているとも言う。
明治40年に武蔵野から稲荷社を合祀。
氏子地域は亀久保・武蔵野・三角。
昭和32年に社殿再建。

大井
正面
大井
参道
大井
境内
大井
拝殿

川越街道沿いに鎮座。国道254号(川越街道)と県道56号(所沢上福岡線)が交差する交通の要衝地。鎮座地は上福岡駅から南西800メートル。ふじみ野駅からは北西1キロ。
道路側からは若干の高台に鎮座している。下は車の往来が激しく賑賑しいが、神社境内に足を踏み入れればそこはさすがに、落ち着いている。住宅地の神社であり、木々は寂しいが、それでも境内はそく整えられている。


八幡神社   
(埼玉県入間郡大井町鶴ヶ岡鎮座)

誉田別命

当地は川越街道、御嶽街道、鎌倉街道が通る交通の要所であった。かつては鶴ヶ岡八幡と称された。鎌倉鶴ヶ岡八幡の使者が古尾谷八幡に行く途中に鎌倉街道沿いの当地を通り、良いところであったので、のちに住み着いて八幡社をまつったことにはじまるという。
創建年代は不詳であるが、一説に正保年間ともいう。
明治5年村社列格。
氏子地域は大井町鶴ヶ丘全域。

大井 大井
大井 左上:境内正面

上:正面

左:拝殿

先ほどの亀久保の神明社からは北に800メートル。同じく川越街道国道256号線に鎮座。大井町の最北部であり、すぐ隣は上福岡市に至る地。駅も上福岡駅が近く、駅から西に700メートルの地に鎮座。境内は開放的であれど窮屈。左側はそのまま道路に併行しており、右側の樹木によってなんとか神社らしさを維持している感じ。あまり八幡らしさを感じることはなかった。


参考
各神社由緒案内等
「埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父」昭和61年4月/埼玉県神社庁神社調査団編/埼玉県神社庁
「大井町史・民俗編」 昭和60年3月発行/大井町史編纂委員会



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