「川口草加の神社」<平成17年11月>
「峯ヶ岡八幡神社」「草加神社」
しばらく埼玉の神社から離れていた。そろそろ復活したいと思うもなかなかきっかけがなかった。
秋晴れの下で、山奧まで紅葉をみにいく元気がなかった。でもどこかしらに行きたかったのでこの機会になんとなく気になっていたところに行く。
川口
「峰ヶ岡八幡神社」
埼玉県は武蔵・板東武士の地。しかしながら全国的に有名な八幡神社、というのがない。それでも八幡としては県内有数の古社。
とにかく川口駅までおもむけば、バスの本数は豊富。30分ほど乗れば神社に着く。結構搖られた時間は、存分に眠たくなってくる。
「峯ヶ岡八幡神社」
(埼玉県川口市峯鎮座・朱印)
御祭神:
応神天皇・神功皇后・仲哀天皇
創建は天慶年間(938−47)に源経基が建立したとも、弘仁8年(817)に円仁によって創建されたと伝えられる。
康平5年(1063)に源頼義が奥州征討に赴く際に戦勝祈願し、永保3年の後三年の役にも源頼家が戦勝祈願を行っている。
大永7年(1527)に社殿造営の記録あり。現在の社殿は元禄期(1688−1704)のものとされる。
御神体の木造僧形八幡坐像には胎内願文がおさめられており、願文は弘安5年(1282)に祈願されたもの。
峰ヶ岡八幡神社 |
参道 |
参道 |
拝殿 |
本殿 |
イチョウの木 |
バスにのってうっかり終点の「峯八幡宮」まで運ばれてしまう。もちろんバス停の名前からすればここで良いはずなのだが、なぜにか神社は二つ前の「八幡坂」バス停の脇なのだ。そんなわけで300メートルほど戻る。わかっていたのに降り損ねた私が悪いのではあるが。
川口駅からは約5キロ北東。草加駅からは約3キロに鎮座。
七五三は終わった時期だとは思っていたがそうでもなかったらしくハレの子供とハレ舞台を愛でる家族たちがいれかわりたちかわりで賑賑しかった。
拝殿の前では、菊の花が見事にそえられて、季節感を抱かせてくれる。心憎い演出。ぐるりと一周する。境内のイチョウの木はまだ緑だった。ちょっと黄色くなっていれば良いな、と思っていただけにちょっとだけ残念。
拝殿での清め事が終わったらしい。中から親子がぞろぞろとでてきて、拝殿前で菊の花と記念写真をしている。私はお邪魔でしかないのでちょと離れる。中からは神職さんも出てきたが、女性の御方であった。なかなか意外な展開に驚く。そしてなるほどな、と思ってしまう私。なんとなく菊の並べ方と女性神職さんをシンクロ。なるほどな、であった。
そのまま神社の参道を南下する。のんびりとして、良い参道であった。顕の木漏れ日がやさしげであった。
そのまま参道から住宅地から一之鳥居まで約500メートルをあるけば、すぐ近くにバス停があり、そこからタイミングも良く「草加駅」いきのバスがある。
「草加神社」
(埼玉県草加市氷川町鎮座)
御祭神:素盞鳴命 櫛稲田姫命
草加神社はもともと氷川神社と呼ばれていた。天正(1573-92)の頃に小さな祠で祀ったのがはじまりという。
明治6年に村社列格。明治42年に付近の十一社を合祀した際に草加神社と改められ、草加の総鎮守とされた。
現在の本殿は天保年間(1830-44)の造営という。二間社流造。
拝殿幣殿は平成十六年に造営。
草加神社 |
参道脇 |
第二鳥居 |
拝殿 |
本殿 |
本殿 |
境内社の社殿 |
草加駅から約100メートル西に鎮座。駅前であれど、神社鎮座地は緑があり、公園がある。子どもたちと母親がのびやかにくつろぐ参道脇の公園は小さいけれども愛されており、そして「C56」機関車が置いてあった。
鎮座地は氷川町。いまでこそ草加神社であれど、氷川の神さまを祀っている。
拝殿は真新しい。造営されたばかりであった。そして江戸後期造営の本殿。歴史の匂いと、清々しさが社殿に同居していた。本殿は真新しく覆われているが、もとの本殿を巧みに覆っており鑑賞をさせる作りでもあった。本殿彫刻をめで、そして楽しむ。
草加は東武鉄道の駅。この先をどうしよう。
県内の地図をみながら迷う。東武線で北上して新越谷。そこから武蔵野線に乗り換えて東浦和にいく。なんとなく行きたい神社があったから。続きは別編。
参考
各神社由緒案内等
角川日本地名大辞典・埼玉県