「出雲伊波比神社・流鏑馬まつり」
<平成17年11月3日>
11月3日。文化の日。私は埼玉県は毛呂山にいた。東武東上線から越生線にのりかえて東毛呂駅に降りる。
朝8時すぎ。ここから10分ほど歩けば、臥龍山の頂きに古社が鎮座している。
「出雲伊波比神社」<いずもいわい神社>
<神社紹介ページはこちら>
武蔵国延喜式内社。平安時代に編集された延喜式。その神明帳に記載される武蔵国の古社。
平安期宝亀3年(772)、朝廷の奉幣が絶えたのを怒り雷神を率いて入間郡の正倉を焼いたとされている猛々しい神威を誇る神社。
中世期に源頼義父子が当社を参詣後に凱旋した八幡大神をまつる由緒を誇る神社。
そして室町時代の享禄元年(1528)に再建されたと言う神社本殿は、現存する埼玉県内最古の神社建築物。国指定重要文化財に指定されている。
埼玉県内で唯一、毎年奉納される流鏑馬は埼玉県指定無形民俗文化財。
900余年の伝統を誇る流鏑馬は、全国でも珍しい少年の流鏑馬。三名の小中学生が騎乗する。
県内の神社の中でも、好感触でお気に入りの神社が「出雲伊波比神社」
もともとは出雲臣武蔵国造家の崇敬する氷川神社系の神社であったが、源頼義以来八幡大神をも祭り、二社並立。
源氏の伝統が息づく流鏑馬神事でもあった。
私は流鏑馬を見たことがなかった。ぜひみたい。
埼玉県内の神社なら、と一目置かれるようになった私ではあるが、それでも知らない神社は多数。
どうせ流鏑馬をみるのなら、県内を誇るべきであった。
平成17年11月3日「出雲伊波比神社」流鏑馬まつり タイムスケジュール 0900<馬場>朝的(あさまとう)行事 約30分 的宿に帰り、的がえの式出発 1000<拝殿>式典 1040<拝殿>的がえの式 1100<馬場>野陣 1300<的宿>夕的(ゆうまとう)出発準備 1330<的宿>追出の酒盛 1340<的宿>出陣 1400<参道下>つめきりの儀式 1415<馬場>あげ馬 1430<馬場>夕的(ゆうまとう)行事〜約2時間30分 1700<境内>てじめ |
そんなわけで、流鏑馬を見物。
そのまえに普段は無人で頂戴できない朱印を頂く。特別に「流鏑馬祭」と記載しました、とサービス付き。
私は鹿島神宮の朱印帳で、愛知県の朱印が直前に押してある状態で「朱印をお願いします」とだしたものだから「どこから来たの?」と質問される。
「そんな遠いところではないです。東上線の志木です。」
たしかに変な朱印帳になっているよなあ。
境内の馬場は樹木に覆われて薄暗い。もちろん馬を撮ることになるのでストロボは使えない。
なかなか環境の悪い中で四苦八苦して撮影。
出雲伊波比神社の流鏑馬は、康平6年(1063)に源頼義・頼家父子が奥州平定のために当社で戦勝を祈願し、凱旋後に当社に流鏑馬を奉納したことにはじまるという。
埼玉県内で流鏑馬が今日まで伝えられている神社は、当社と萩日吉神社(都幾川村)のみ。萩日吉神社は三年に一度の奉納であり、県内では唯一の通年奉納の流鏑馬である。
出雲伊波比神社の流鏑馬は3つの当番区からだされる「一の馬」「二の馬」「三の馬」によって奉納されている。「一の馬は」白で源氏。「二の馬」は紫で藤原氏、「三の馬」は赤で平氏をあらわしているという。
乗り手は少年であることが当社の流鏑馬の特徴であり、全国でも珍しい。今年は中学三年生、一年生、小学五年生が勤めた。
現存する埼玉県最古の神社建築 |
八幡社。流鏑馬と縁が深いのだ |
朝的(あさまとう) 騎馬が予想以上に速くて、撮るのが難しいことを学習する |
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左写真 午前10時過ぎ。拝殿では式典中。 拝殿前で待機 |
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11時。野陣。 |
野陣。御神酒と柿です |
神職の清め |
夕的(ゆうまとう)行事のはじまりは2時過ぎから。 暗くなるまで、なんども馬が駆け抜ける馬場。 馬上から放り投げられるミカンや餅もある。子どもたちも大喜び。 |
矢的(やまとう)。一の馬 |
二の馬 |
三の馬 |
速すぎてぶれます・・・。 |
駆け抜ける流鏑馬 |
盛り上がる観客 |
続きます。 |
私はやけくそで流し撮り。空間が狭くて難し。い |
なかなか愉快だ。 |
御苦労様 |
いっときの休息 |
また駆ける |
走り出し |
勢いをつけて馬場へ・・・。 |
朝8時30分頃からから17時過ぎまで、何をするでもなく私は神社にいた。
お昼頃はさすがに暇で昼寝をしていたが。
それでも意外と楽しめた流鏑馬。全国的な知名度はないけれども、こうして郷土に根づく祭礼を、今後は辿って行ければいいな、と思いつつ私は神社をあとにする。県内の神社でも格別に気に入っている神社は、ますますお奨めの神社になったようだった。
ちなみに巫女舞とかも奉納されてましたが、こちらに掲載